奥多摩:忘れられた林道

2007.Dec.15

林道建設のための大規模な伐採が行われていた1960年代、奥多摩町はカミキリ屋のメッカとして空前の賑わいであったといいます。原生林の中に突如として出現した土場にはおびただしい数・種類の昆虫が群がり、それに負けないほど多くの虫屋も群がっていたようです。林道が完成し土場が消えると、今度は南会津などの新しい土場に人が移ってしまい、今ではカミキリ屋でも特定の種類だけを狙って訪れる人が多くなっているようです。

カミキリ屋が林道上で狂喜の声を上げる前から、その上方あるいは対岸の森の中には細いながらもしっかりした林道があり、林業やワサビ栽培に携わる人々が往来していました。現在でも登山愛好家の間ではある程度知られている道のようで、山行記も時折目にします。林道の上で「クロサワだ、イッシキキモンだ」と夢中になっているカミキリ屋さんの中に、この道の存在を知っている人が、果たしてどのくらいいるのでしょうか。そんな、多くの虫屋からは忘れられた林道を歩くことが、今回の目的です。


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朝6時半、ちょっと早く奥多摩駅に着きすぎたので時間を潰します。1年生の時から通って6年間、ほとんど変わらぬこの町並みを目に焼き付けていきます。朝7時、いつものバスに乗って、いつもの場所へ。

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今までほとんど載せてこなかった、この集落を象徴する風景。左奥の山陰にはしっかり雪が積もっているのがはっきりと見え、いよいよ奥多摩にも本格的な冬が来たことを実感します。

2002年5月に先輩のD氏に連れられて初めて訪れてから、はや6年が過ぎようとしています。自身の年間採集記録を更新し続けた2007年の奥多摩採集も、25回目となる今日が最後。もはや、この地に降り立つことだけで、感慨深いものがあります。

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気温は、先週とほぼ同じ0℃(7:40)。落葉や枯草、すべてが真っ白になっています。

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少し歩いて、林道の起点を確認。「昭和31年度起点」1956年から林道建設が始まり、「●●谷時代」の幕開けとなったのですね。

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しばらく林道を歩くと、道標が現れます。このようなわかりやすい林道で起点と終点を示しただけの一見あまり意味がなさそうな道標、奥多摩ではよく見かけるものです。実はこれ、第2・第3の道が隠されていることを示す道標でもあるのです。

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道標の裏から踏み跡をたどって斜面を登っていきます。いつも行く場所に比べれば、車椅子用のスロープみたいなものです。

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ちょっと登ると、山腹を横切る広い道と交差しました。意図的に路肩を切り開いた痕跡が見えます。ここが、「右岸下段歩道(旧●●谷林道)」と呼ばれている、多くの虫屋からは忘れられた道です。

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少し歩くと、しっかりした道になりました。まわりは急斜面ですが、安心して歩けます。

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木々の間から、対岸の林道がよく見えます。数十年前の●●谷時代の熱狂を、ここから眺めていた人もいたんだろうな・・・。

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ブナの立ち枯れ

落葉広葉樹林の中、高低差をほとんど感じさせないで伸びる道沿いには倒木、立ち枯れ、樹洞などが比較的多く見られます。現在、対岸の林道沿いではなかなか見られない好採集ポイントになりそう。でも、下草が存在しない不気味な斜面であるのは奥多摩の他の場所と同じです。

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しばらく歩いたところで赤腐れの朽木が目の前に出現したので、休憩を兼ねてナタで崩してみます。

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ツヤハダクワガタのものと思われる上翅。食痕はかなりあるものの、出尽くした後のようでした。林道上の朽木や林内の立ち枯れで成虫が採れることもあるので、あえて冬に堅い材を削ることもないのかもしれません。

立ち止まって朽木を削っていると体が冷えてきたので、再び歩き出して体を温めます。

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しばらく歩くと、植林と広葉樹林が交互に出現するようになります。モミやツガも生えてるので、この谷でも記録があるトゲフタオタマムシが頭に浮かびます。でも、丹沢と違って簡単に採れるものではないのであまり真面目には探しません。道沿いにある木の樹皮を思いついたら剥がしていきます。

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何度目かの植林を通る時、良さそうな倒木を発見。植林できるくらいの緩傾斜なので、迷わず斜面を降ります。

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ナタを入れてみると、赤腐れでとても柔らかいです。オサムシでも眠っていないかと、側面と下面を重点的に削ります。

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地面との接点付近から、エサキオサムシ。夏にトラップを仕掛けるとおびただしい個体数が得られます。

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ホンシュウキオビホオナガスズメバチ

今年は朽木崩しでよく見かけます。

期待に反して、この2個体しか出ませんでした。斜面を登って元の道に戻り、先に進みます。

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途中、橋が流されている所は慎重に通過します。

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しばらく進むと、枯れ沢に出ました。今年9月の台風の際に水が激しく流れたようで、川床が洗われて石灰岩が青白く輝いています。

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沢筋にはサワグルミが林立していました。オオアオ、キモン、ブロイニングなど、この木を寄主とするカミキリには今まで縁がなかったので、この機会を逃さずに材採集をすることにします。

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キモン・ブロイニングなどのフトカミキリ系幼虫を狙って、落ち枝を拾って樹皮を剥がしていきます。ほどなく、樹皮下に小さな幼虫を見つけました。

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これ以上は手をつけず、材を切り分けていきます。幼虫がいる部分には樹皮を充ててテープで巻きます。薬局で売っている治療用の紙テープが使いやすいので愛用しています。

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さらに、オオアオなど産卵加工を行わないカミキリ亜科を狙うにはこんな割れ目だらけの部位が良いはず。

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ノコギリで切ってみると、材部に食痕が複数見えます。この前後の部分と合わせて袋に詰めます。

ここで、荷物を軽くするために食糧を半分ほど消費してから再び歩き出します。

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相変わらず、植林と広葉樹林が交互に出現します。奥に行くほど、植林の樹種はスギからヒノキに置き換わっていきます。樹皮めくり採集には、樹皮が剥れやすく断片が大きいヒノキの方が適しています。トゲフタオタマムシが潜るのに十分な空間がありそうな部分がたくさん出てきたところで、道沿いで気楽に剥がせる位置にあるヒノキの樹皮に手をかけつつ進みます。

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ペリッ

勢い良く樹皮を剥がすと、その下の赤い樹皮に黒い影が浮かび上がる。楕円形で、なんとなくキラキラ光っているようだが・・・。

ああ!!

その影が何かを認識した瞬間、思わず大声を上げてしまう。空気の振動が相手にも伝わり、脚を縮めて落下していくが、まるで時が止まったかのようにその軌跡がはっきりと見える。

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トゲフタオタマムシ

やはり、記録があるこの谷に、21世紀になっても生息していました。丹沢の有名産地で初めて見て以来、3年ぶりの再会。これが、本日最大の成果となりました。

これ以降、道沿いのヒノキに注目していきますが追加は得られませんでした。2匹目を狙うと失敗するのはいつものことなので、特に気にせず進みます。

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だんだん、谷の起点にそびえ立つ山が近づいてきました。

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それとともに、道はだんだん細くなり荒れていきます。

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斜面崩壊、橋流出は何箇所もあります。さらに、怖くて写真撮影する余裕がなかったのは、絶壁にかかる木製桟橋が腐ってきていること。飛び跳ねると大きく揺れます。岩やロープにつかまって体重を分散させながら進みます。

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必死の覚悟で道を進むと、ようやく地盤が安定した植林に出ました。ロープが張られて何か掲示が出ています。こちらからでは読めないので、反対側に回ってみると

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「通行止め」

ということで、谷の中盤以降は立ち入らない方が無難です。

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そこからさらに歩くと、見覚えのある場所に出ました。今年3月、先輩D氏、後輩K氏とともにルリクワ採集で訪れた場所です。あの時は難なく渡れた桟橋が、無残な姿になっていました。

ここで残りの食糧を消費し、ルリクワ採集に専念します。狙いは、奥多摩では1度しか採集したことがないコルリクワガタです。

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このように、適度な朽ち具合の落枝をひっくり返すと産卵マーク(・)がついてることが多いです。でも、マークがあっても産卵されていないことも多いことが採集を難しくします。この材からは幼虫が1匹しか出てきませんでした。

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このように、びっしりと産卵マークがあっても、何もいないこともしばしば。

正午を過ぎて、いつものように冷たい風が吹いてきたところで、帰路につくことにします。

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朝は晴れていたのに、だんだん雲が広がってきて、雪が舞ってきました。大荒れになることはないと思いますが、先を急ぎます。

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谷を登ると、林道の終点に到着。ここにも道標があり、第3の道が沢沿いに伸びていました。

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少し進むと、道幅が広くなっています。車でここまで登ってきて駐車場として利用する人が多くみられます。

3年生の夏、ここに小規模ながら土場が一時的に出現しました。産卵に来ていたカンボウトラカミキリを採って累代飼育したことをよく覚えています。数十年前には、きっともっと大規模な土場があったのだろうと思います。

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今日は片隅にちょっと材がありました。来年まで残っているかどうか。

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雪が舞う中、林道をひたすら下っていきます。「●●谷時代」の栄光に思いを馳せながら。

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所々、林道工事をしている場所がありました。その中のひとつには、ツガの丸太が転がっていました。後方に停車している軽自動車と比べると実に立派なものです。

この場所では2年生の時にも大規模な林道修復工事が行われており、カラマツ丸太でできた落石防止柵が設置されていました。その柵でハイイロハナカミキリを採集し、これが東京都2例目になりました。

このツガ丸太も夏まで残っていれば、きっといろいろな虫が集まってくることでしょう。


今6年間で一番多く奥多摩に通い、>野宿しながらの灯火採集、夜明けとともに開始した登山、東京都唯一の亜高山帯に3回日帰りで行ったことなど、充実した1年間だったと思います。

その思いをさらに増強したのが、帰宅後に届いてた文献の中の、次の報文。

芳賀 馨,2007,1970-90年代に奥多摩で採集した甲虫類,うすばしろ,(35):1-46.

延べ32日に及ぶ膨大な調査結果もさることながら、「1.緒言」「2.調査地点の自然環境」が格調高く素晴らしい内容です。1990年代に重点的に調査した場所というのが、偶然にも今日歩いた旧道でした。

私が奥多摩に通い詰めた理由として「遠征不可能という大学での研究上の都合」をよく話しますが、採集記にも時々書いているように、心の底には次のような思いもありました。

「今しかできないことを、今のうちにやっておこう」

それを改めて認識することとなった文章(上記文献の「5.考察」の一節)を引用して、今年の奥多摩採集を締めくくりとします。

・・・・・

「亜高山帯の種は、日帰りでの到達が困難であるため調査を先送りしているうちに、永久にその機会を失ってしまった。奥多摩の低標高地には古くから人が居住してきた歴史があるので、集落周辺の里山的な微環境を精査することにより、自然林に生息しない種が発見できる可能性がある。しかし、限界集落の消滅が全国的な傾向となっている現在、調査の先送りは大きな後悔につながるだろう。」

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