紀伊半島のルリクワガタ:修行の果てに

2009.Dec.5

紀伊半島にはルリ系、コルリ系、ニセコルリ系の3種のルリクワガタ類が生息する。

ルリクワガタ Platycerus delicatulus は本州、四国、九州と国内の広範囲に分布するが、<他の2種は分布が限定されている。

キンキコルリクワガタ P. takakuwai akitai は北陸・近畿・四国北部、キイニセコルリクワガタ P. akitaorum は紀伊半島のみ。

関西にいる間にぜひとも出会っておきたいところだが、キンキコルリはなんとかペアで見つけることができたものの、キイニセコルリは昨年樹氷の世界まで登って失敗に終わってしまった。

来年4月には異動が決定しているので、今年がラストチャンスの可能性が高い。昨年の反省をもとに、大雪が降る前にもう一度、あの山へ。


金曜日夕方、仕事を終えてすぐに電車に乗り、奈良駅へ。レンタカーを借りて食糧を調達しつつ山の麓まで移動し、眠りにつく。夜中に寒さと雨音で目が覚めるが、短時間だけ暖房をかけて耐える。

翌朝、夜明けとともに目覚めると、林道に入りゆっくりと登っていく。登山口につく頃には、予定通り霧雨が小雨に変わっていた。

積雪さえなければルリクワガタ採集に天候は関係ないし、こうなることは覚悟の上でここまで来たので、迷うことはない。隣に止まった車に若い男女がいたような気もするが、おそらく眼の錯覚だろう。黄色い雨合羽を装着し、登山靴の靴ひもをしっかり締めて、登山口へ向かう。

「今日は久々に修行だ」

7時40分、登山開始。昨年とは反対側、最短コースで稜線を目指す。

登り始めると、雨はだんだんと激しくなっていく。いつものように、まず肺が苦しくなり、続いて心臓も悲鳴を上げる。それでも、引き返そうとは思わない。生きるか死ぬか覚悟しながら何かをやる時だけ、見えるものがあるのだ。2年前の、あの院生時代と同じように。

8時20分、稜線に到着。完全に雨雲の中に入り、視界はほとんど利かない。

日陰にはわずかに雪が残っている。これも夕方までには解けてしまうだろう。

荷物を置いて、いよいよ探索開始。ナタを片手に斜面を徘徊する。

地面には無数の朽木があるが、産卵マークがあるものは意外と少ない。

削っても、幼虫が出てくるだけ。

雨は一向に止まず、さらに風も出てきて体感温度は一気に下がる。だが、ここまできて諦めるわけにはいかない。

悪いことは重なるもので、ここで本日最大の悲劇が起こる。

材の様子、風景などを撮影しながら探索を進めていくが、どうもデジカメの調子がおかしい。ピント調節がうまくできず、画面も点滅するように。そして、突如として電源が入らなくなってしまった。どうやら、雨が内部にまで侵入してしまったようだ・・・。

これで採集に専念できると前向きに捉え、探索を続行する。目的の虫が採れないと、とりあえず出てきた虫を確保することになるのだが、今回は副産物すらほとんど出ない厳しい状況に陥った(なお、この先の写真は携帯電話カメラで撮影または後日室内撮影したものである。)。


キイオオトラフコガネ幼虫

ルリクワガタ類よりもやや腐朽が進んだ朽木に入っている。これだけ狙うのは実は簡単なのだが、あくまでルリクワ材にこだわったため少数しか得られず。


ホンシュウキオビホオナガスズメバチ女王

腹節背面にあるホームベース型の黒紋が特徴。キイロスズメバチに雰囲気が似るが、明らかに小さいのですぐわかる。

2時間ほど、少しずつ場所を移動しながら探索を続けたが、産卵マークが崩れかかっている材からも幼虫ばかり出てくる。成虫は1匹だけ割り出したものの、キンキコルリクワガタのように見える。もしかしたら目的のキイニセコルリクワガタなのかもしれないが、コンタクトレンズ越しという、普通の人が双眼鏡で手元を見るような状態であるうえに、雨天で光量が少ないという悪条件のため、違いがわからない。

もっと標高を上げなければ生息していないのかと思い、亜高山帯の入口まで進んで探索するが、これが裏目に出る。産卵マークはおろか、広葉樹の朽木すらほとんど見つからない。


ハイイロハナカミキリ属の♀

かろうじて、丸太の樹皮はがしでこれを見つけただけ。

奥多摩の「信仰の山」の頂で見つけた個体に良く似ていて、japonicum femorale のどちらともとれる曖昧な感じ。

亜高山帯の入口で結果が出ないままいたずらに時間だけが過ぎていき、気づいた時には帰途につく時間が迫っていた。仕方なく、下山する方向で探索しながら進んでいく。

道を引き返し始めた頃から雨が小降りになり、途中で完全に止んだ。そして、分岐点につく頃には雲が晴れて太陽が顔を覗かせる。

山肌からは蒸気が立ち上り、太陽光を反射して虹を作り出している。これまでの天候を思えば、実に幻想的な風景である。残念ながら携帯電話のカメラでは写し取れなかったので、代わりに心の眼にはしっかりと刻み込んでおいた。

分岐から斜面を一気に下る途中、脇道に見えた材がどうしても気になり、これで最後と決めて、ちょっと寄り道。

蛹室にたたずむ本日2匹目の成虫。1匹目と同じように見えるが、これもキンキコルリクワガタなのだろうか。もはや近距離に焦点が合わないほど眼が疲れているので、同定は帰宅後に。

20分ほどで登山道を駆け下り、登り口の少し手前まで来た時に、タンナサワフタギの立ち枯れが目に止まったので1本だけ持ち帰る。見慣れたトガリバホソコバネカミキリの太い食痕が走っているので、春には大きな成虫が羽化脱出してくることを期待しながら、帰途に着いた。


帰宅後

採集した貴重な2匹をルーペでじっくりと観察。「同定」とは”同じであると定める”ということなので、現物比較がもっとも確実である(究極は基準標本との比較)。

そこで、冷凍庫に眠っていた2008年採集の成虫を展足して並べる。違いは、一目瞭然であった。

2種の識別点のひとつに、「上翅の横じわの細かさ」がある。

キンキコルリクワガタ:より深く粗い

キイニセコルリクワガタ:より浅く細かい

この違いはデジカメで適当に撮影しても写しこめるほど明瞭であった。

もう1つの識別点である、「前胸の前角の張り出し」

キンキコルリクワガタ:前に張り出さない

キイニセコルリクワガタ:前に張り出す

見る角度によっては両種とも前方へ張り出しているようにみえる。

角ではなく、前縁のライン(青色)を見るとわかりやすいようだ。


ということで、現場ではわからなかったが、雨風に打たれながらも探し続けた末に、狙い通りキイニセコルリクワガタに出会うことができた。また、久々の修行により心の迷いがかなり消えていたのも大きな成果。雨上がりの稜線に現れた虹を山の神様のお言葉と信じて、この冬も今まで通り虫の世界に遊びながらも、まだ見えぬ出口を求めて、闇の中を諦めず歩き回ることにしよう。


修行の途中で行き倒れたデジカメ

翌日、筋肉痛すら発症しなかった私の身代わりとして、瀕死の重傷で2週間の入院生活を送ることになる。

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