樫の木の宝石探し

2011.Apr.8

例年より開花が遅れた桜も、ようやく見頃を迎えた今日この頃。春の女神ギフチョウも標高の低い生息地では出始めたようだ。平地ではモンシロチョウが飛び交い、春本番を迎えつつあるこの時期、山の中では、森の妖精がひっそりと春の訪れを待っている。それは、ゼフィルスと呼ばれるミドリシジミ類。食樹の休眠芽や枝に産みつけられた卵で冬を乗り切り、芽吹きとともに孵化して急速に成長を遂げ、夏には山の宝石となる。その卵も成虫に負けない見事な造形美を誇っており、これを探すことは蝶屋さんの冬の楽しみのひとつである。

奥多摩の夢のひとつ、フジミドリシジミを狙ったことは何度かあるが、イヌブナのひこばえに白い宝石を見つけるには至っていない。夢を現実にするためには、ある程度の修行が必要なのかもしれない。今はせっかく西日本にいるので、職場の先輩に場所を教わり、入門編として憧れのキリシマミドリシジミを探しに行くことにした。


始発電車に乗り、3時間ほどで近江国の果てに到着。8時半、登山口を目指して出発。天気は下り坂、雨が降り出すまでにできるだけ目的地へ近付きたいところ。

舗装道路をしばらく歩き、登山口へ。

「シカとサルが多いから気をつけて」と駅員のおじさんが言ってたが、もっと危険なものも生息しているらしい。もうそろそろ動き出しているかもしれないので、鈴をつけて出発。

しばらくは植林の中をひたすら進む。

途中で道を間違え、荒れた谷筋に出てしまう。方角はわかっているので、尾根に出るべく強引に斜面を登る。

脚力低下により思った以上に時間を要したが、無事に尾根に出る。太陽と山並みを頼りに、目的地につながる登山道を探す。

やがて、尾根沿いの登山道に行きつく。明るい雑木林の林床には、丈の低いスズタケがびっしり。あたりにはニホンジカの落し物が散乱。これは、嫌な予感・・・。

しばらく歩いて、恐る恐る足元を見る。なにやら、シミが一気に増えたような・・・。


マダニの一種

もう、動き出しているらしい・・・。

この後、眼の前に腰までの高さのスズタケ群落が出現。意を決して高速で中央突破した後、ズボンには無数のマダニが徘徊。駅員のおじさんの忠告の真の意味は、このことだったのか。

さらに進むと、アカガシを発見。これが、今日探し求めていた樹木。


アカガシの休眠芽

この根元に、昨年の夏にメスが産んだ卵がついている。残念ながら、この株は条件が悪いのか、1つも見つからなかった。ポイントにはまだ早いので、先へ進む。

しばらくすると、植林の中に低めのアカガシを発見。「涼しいところの低い枝」という条件に、なんとなく合致しそう。

手が届く範囲に産卵するということなので、枝をひとつずつ引き寄せる。

そして、休眠芽をひとつずつ、裏表を丹念に見ていく。

探索開始から30秒ほどだっただろうか。

人生で初めて、ゼフィルスの卵を発見。登山開始から1時間10分、まずは最初の1個が見つかってひと安心。あいにく撮影はうまくできなかったが、複雑な彫刻をそなえた純白の宝石に、しばし見入ってしまう。

卵が産みつけられていたのは、この下枝。直射日光は当たらないようになっている。

撮影後、残りの下枝をくまなく探す。

今度は2卵同時についている芽を発見。条件の良い芽では、もっと多数の卵がついていることもあるという。

この他にも4卵を発見し、半分だけ持ち帰ることにして先へ進む。

やがてスズタケの群落は途絶え、落葉の道に変わる。この頃から雨が降り出し、やがて本降りとなっていく。

道を少し外れて斜面を見ると、アカガシがそこそこ生えている。日陰になっていて条件が良さそうなので、近寄ってみる。

しかし、ここでは休眠芽がついていない。限られた資源を有効に使って生き延びるために、この株は休眠芽をつけない戦略を取ったのかもしれない。

それでも、懲りずに尾根筋から見えるアカガシをしつこくチェック。

数打てば、当たるもの。美味しそうな休眠芽は多かったものの、卵はほんのわずかだった。

先へ進んで行くと、急に傾斜がきつくなる。その途中で、林内に低いアカガシを発見。

先ほどより明るいからか、休眠芽がけっこうついている。

そして、卵もしっかりついていた。暗すぎても、明るすぎてもダメなのか。キリシマの気持ちをつかむには、まだ数が足りない。

急坂を登りきると、植林が消えて冬枯れの尾根筋が広がる。ポイントまではまだ距離があるが、雨は強くなる一方。

登山道の脇には、それなりにアカガシが生えている。

どれも大木で、卵がありそうな低い枝は見当たらない。

しばらく歩くと、雪の重みで傾いたアカガシを発見。手前の方には、ひこばえに近い低い枝が伸びていて、休眠芽も見える。

雨に濡れながらも、白く輝く。

見えにくいが、これには2卵ついている。

ここでも半分ほど残して、先へ進む。

12時、ポイントとなる谷筋の真上に到着。ここから藪こぎして下っていくのだが、時間と天気と脚力を考えると厳しい。

ほどほどに下って、登山口方面へ水平移動して卵を探すことにする。

斜面はそれほどきつくないが、表土が崩れやすい。

ひこばえや下枝も、思ったより少なく、卵はなかなか見つからない。

ようやく探し当てても、2卵止まり。芽を環状に取り巻く「キリシマリング」には到底及ばない。

どのくらい戻った頃だろうか、倒木の巻き添えになって傾いたアカガシを発見。

地面に近い枝では葉がなくなっている。おそらくシカが食べてしまったのだろう。休眠芽は残っているので、卵を探す。

数は多くないが、それなりに見つかった。このままでは芽吹いた後にシカの餌食になるだけなので、この株だけはすべての卵を持ち帰る。

次第に霧が立ち込めてきたので、下山することに。

途中、シカの落し物に虫の痕跡を発見。


クロオビマグソコガネ

奥多摩でも春先におなじみの糞虫のひとつ。少しだけ採集して、先を急ぐ。

植林があるところまで戻ってきたら、行きにはなかった水たまりが出現。

ヒキガエルの産卵場所になっていた。

山は芽吹き前でも、カエルの世界には春が訪れているらしい。

藪こぎはもう嫌なので、林道を一気に下る。

舗装道路に出る直前、ちょっとだけ崖を崩す。


マヤサンオサムシ♂

この1匹のみで、後は続かなかった・・・。

撮影終了後、地面においた手鍬を持とうとした瞬間、鳥肌が立つ。


ヤマビル

実は、九州以北で見るのは初めて。駅員のおじさんの忠告の真の意味にはこれも含まれていたらしい。

14時40分、ようやく舗装道路に戻ってきた。ここからは駅まで延々と歩くだけ。

里はまだ梅の季節。しばらくすると桜が咲き、緑が山裾から駆け上がる頃には、あの白い宝石たちからも産声が聞こえてくるのだろう。


今までうまくいかなかった採卵だが、今回ようやく見つけることができた。写真はよく見ていたのだが、やはり実物をこの眼で見た時の美しさは格別。これから飼育という難関があるが、なんとか妖精の姿を拝みたいものだ。最後に、情報を教えてくださったS氏に感謝いたします。

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