奥多摩:ヤマシャクヤクの尾根

2011.May 14

季節が遅れて推移しても、5月中旬ともなれば、山地でもすでに新緑の季節。森を包むみずみずしい若葉は、初夏の日差しを和らげて地面へと届ける。その林床には、白い提灯がひっそりと現れている。

ヤマシャクヤク
Paeonia japonica

清楚な白い輝きは、美人の形容としても使われるほど。東京都での自生地はそう多くはないが、今も山奥で人知れず生き延びている。

その花と切っても切れない縁を持つカミキリムシがいる。

フタスジカタビロハナカミキリ
Brachyta bifasciata japonica

「キマル」の愛称で知られる可憐な姿であるが、幼虫はヤマシャクヤクの根を食べて成長し、成虫は花に潜りこんで花びらをバリバリと食べる。花粉媒介という利益があるものの、植物から見れば厄介者かもしれない。

東京都における本種の記録は奥多摩町における3例のみ(2010年現在)。最後の記録からは、もうすぐ40年が経とうとしている。東京周辺の有名産地では毎年のように採集例が聞かれるが、奥多摩でも可能性があるならば、なんとか見つけてみたい。

2008年の京都府での経験と、偶然見つけた生育情報を基に、40年の時を超えてヤマシャクヤクの妖精を探し出す。10年目を迎えた奥多摩探索の夢を抱いて、今年最初の奥多摩探索へと出発した。


前日の13日、夜勤明けで自宅に戻り、荷物を背負って電車に乗り込む。6時間半かけて、東京の西の果てを目指す。

23時、奥多摩駅に到着。半年ぶりに見る駅舎、今年もなんとか戻ってこれた。

荷物を置いて、いつものように蛾像収集へ。前日まで雨だったこともあり、虫の活動が活発になっている。壁面には多様な鱗翅目が張り付いていた。


ウンモンスズメ

新緑に溶け込むには最適な色彩なのかもしれない。


アシブトチズモンアオシャク

こちらも緑系の斑紋。まだ新鮮で美しい。


コアシダカグモ

捕食者の活動も活発になっているらしい。


エサキオサムシ♂

壁面の高いところまで登るほど元気だった。

翌朝、5時起床。まだ雲が残っているが、これから晴れてくるだろう。

出発前に、もう一度トンネルへ。


イボタガ

この標高でまだ生き残っているとは意外だった。若干季節が遅れているということか。

駅前のフジの花は盛りをやや過ぎたくらい。例年よりやや遅い感じがする。もしかしたらヤマシャクヤクにはやや早いかもしれないが、とりあえず行ってみないことには始まらない。

季節推移を確認したところで、目星をつけた場所へ向かう。ヤマシャクヤクは盗掘のおそれがあるため、場所の詳細は控えることにする。


登山口周辺の様子

川沿いのカエデの花は終わっており、若葉が茂っている。

登山道に入り、植林の中を黙々と登っていく。夜勤明けで長距離移動したため体力回復もままならず、すぐに息はあがり、筋肉が悲鳴を上げる。約40年ぶりの再発見への執念だけで、一歩一歩進んでいく。

一応、林床に白い提灯がないかどうか探しながら登っていくが、植生は単調でシダ類が目立つだけ。

しばらく登ると、植林を抜けて尾根に出る。細くて白い木はタンナサワフタギで、結構な本数が生えている。ここも、トガリバホソコバネカミキリの知られざる生息地なのだろう。

再び植林に戻った後、広葉樹林との境界線を進んで行く。地図によれば目的地にもうすぐ着くはず。

7時30分、目的地らしき場所に到着。ここが、偶然に情報を得た生育地のはず。

果たして、林床に浮かぶ白い提灯はあるのだろうか。尾根筋から斜面を見下ろし、オオバアサガラ幼木の隙間を丹念に見る。

ほどなくして、白い提灯を発見。

斜面を急降下して回り込み、まずは1枚。

奥多摩で初めて見つけた、ヤマシャクヤク。京都府以来2年ぶりに見るので、葉の形もしっかり確認。

さて、花の中には妖精の姿はあるのだろうか。緊張の一瞬。

残念ながら、姿はなかった。

とりあえず、ここが生育地に間違いなさそうだ。荷物を置き、斜面を移動しながら他の株を当たることにしよう。

油断すると転げ落ちるような急斜面

ある株は、木漏れ日を浴びてひときわ輝く。

ある株は、カラマツに寄り添ってひっそりと咲く。

多くの株は、花がひとつしかない。株が大きくなると、複数の蕾をつけるようであった。

ある株は、まだ蕾のまま。

ある株は、開き始め。

このくらいが一番美しい。

盛りを過ぎると花の形が崩れていく。

そして、散っていく。

花が終わった後、子房が膨らんで種子ができていく。

そんな株の根元もしっかりチェック。落ちた花びらに食痕があれば、妖精がいた証拠になる。

ヤマシャクヤクそのものは斜面にかなりの株数が生えている。しかし、肝心の妖精は影も形も見当たらない。

「まだ、奥多摩から消えていないはずだ。どこかで生き残っているはずだ」

誰もいない早朝の山の中で、ひとりつぶやきながら斜面徘徊を続けていく。

そして、どれくらいの株を見た頃だろうか。

わずかではあるが、食痕がある花を発見。

探索開始から1時間、ついに40年ぶりの時を超える瞬間が来たかも。

はやる気持ちを抑え、そっと花びらを開く。

むむむ...。まさかキリギリス類の幼虫に化けるとは...。

気を取り直して斜面徘徊を続けるが、やがて植林にぶちあたり群落は途切れる。手入れも行き届かずに暗くなった林床での生育は厳しいのか。

尾根に戻ってしばらく歩き、林縁に眼を凝らす。すると、白い提灯が再び姿を現した。

一応、群落となっているが規模は比べ物にならないほど小さい。すぐに見尽くしてしまい、再び尾根筋に戻ることに。

やがて植林が消え、完全に広葉樹林に突入。乾燥が激しく、さきほどの場所とは環境がずいぶん異なる。これではヤマシャクヤクは望めそうにないので、引き返す。

ふと上を見上げると、新緑と青い空。


スカシシリアゲモドキ

下を見ると、シリアゲムシ。気温が上がって、活動を始めたのだろうか。


ミズナラのひこばえ

なんとなく気配を感じたので、近寄ってみる。

よく見ると、葉には食痕がたくさん。

葉裏を覗きこむと、その主が葉脈に鎮座していた。


オオミドリシジミ幼虫

平地の雑木林では簡単に見つかるが、原生林では意外と難しい。

9時20分、群落のある斜面に戻って来た。気温が上がれば、妖精もどこからか飛んできているかもしれない。期待を込めて、もう一度斜面を徘徊してみる。

初夏の日差しを浴びて、花が一気に開く。

先ほど見た時はおしべが見えなかったものも、このとおり。

蕾だったものは少し開いた。

小さな蕾も、一回り大きくなった気がする。

30分ほどかけて斜面を徘徊してみたが、妖精の姿はやはりない。京都府との標高差を考えても、もう出現時期になっているはず。最後に記録された場所からも近いのだが、まだこの群落には到達できていないのか。

失意のもと、植林を高速で下山する。

途中、満開のミツバウツギを発見。


アサギマダラ

初夏の到来を感じさせる。ここで長竿を伸ばし、今年初めての花掬いへ。


アオハナムグリ

山地でおなじみのハナムグリの仲間。久々に見ると大きく感じる。


トゲヒゲトラカミキリ

植林帯でおなじみのトラカミキリ。


ヒラタハナムグリ

1年ぶりに見ると、とてもいとおしく見える。

思ったよりも虫の入りが悪いので、適当に切り上げる。まだ時間は早いので、いつものように最奥の集落へ行ってみることに。

バスを降りて、集落の中を歩いていく。ヤエザクラは盛りを過ぎたくらいで、例年よりやや遅めか。

緑は山肌を駆けのぼり、もうすぐ山頂まで到達しそう。

林道へ通じる道路は、鮮やかな緑に包まれている。


ミヤマカラスアゲハ♀

ウツギの花で吸蜜しているのを運良く発見。撮影後、対岸へ飛んで行ってしまった。


いつもの谷の様子

トチノキは花が咲き始めていた。

気温は21℃ (11:45)。カエデ掬いとしてはちょっと暑くなりすぎかも。

とりあえず、来たからには長竿を伸ばす。カエデの花も盛りを過ぎているが、何かしら入るだろう。


アカイロニセハムシハナカミキリ


キバネニセハムシハナカミキリ


ヒナルリハナカミキリ


トゲヒゲトラカミキリ


キアシシリアゲ

主な虫はこの程度。ヒゲナガコバネカミキリ類が入ればと期待したが、相性の悪さは相変わらず。もっと視点を変えないと難しいのだろうか。

花掬いの時間帯も終わり、疲労もピーク。林道でのビーティングをする気力はもう残っていないので、早々と帰途につく。

いつも挨拶に出てきてくれる犬。今年も元気で良かった。

初めて奥多摩でヤマシャクヤクを見つけることができたが、妖精の姿を見つけることはできなかった。40年の時を超える夢は、そう簡単には実現しない。

でも、この広い奥多摩の山のどこかに生き残っていることを信じて、また来年訪れてみることにしよう。

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